「生きるために、生きる」とは。マザーテレサのボランティア、コルカタ滞在は一生忘れたくない。世界一周旅行記17 in Kolkata, India

インドのコルカタ。
感じたこと、得たもの、思考したこと、全て忘れたくないので、書きとめます。

見たもの、感じたものをありのまま表現しているので、もしかしたら不快になる方もいるかもしれません。

それでも多くの人に読んで、知ってほしいです。そしてできるなら、訪れてほしいです。

旅人が訪れるインドの街、コルカタ

インドといえば、ヨガ、IT大国、経済成長…いろんなイメージがある国ですよね。

4ヶ月ほど前に、旅行でニューデリー、アグラ、ジャイプールに行き、タージマハルに恋に落ちて以来、インドの他の都市にも行ってみたいと思っていました。

今回の旅は、全く別の場所、コルカタ

主な観光名所もなく、旅行でいくところではないです。
それでもバックパッカーに人気であったり、世界中から人が集まるのは、マザーテレサのボランティア施設「マザーハウス」があるのは一つの要因だと思います。

実際、私もマザーハウスのボランティアをするためだけに、ルートを変更してインドに向かいました。

コルカタには、観光客らしい人はほとんどおらず、生活している人の姿が目に入ります。

衝撃的だったのは、高級ブランドが入っているショッピングモールの道路の反対側にいる15人ほどの路上生活者

ゴミだらけで思わず息を止めてしまうほどの異臭がする道があちこちにあります。

最初の日は一人で外に出るのも怖くて、とにかく早歩き、荷物を前に持つ、スマホは出さない、帽子を深くかぶる、という警戒心丸出しでした。

「なんか、怖い…。」

コルカタの最初の印象を正直に言うと、街の雰囲気が怖かったです。

私はここに4日間も滞在できるのだろうか…。

ここまで不安になった旅は初めてでした。

旅で初めての日本人宿!

インドは女性のひとり旅には危険という情報をよく聞くので、今回は少しでも安心できる日本人がいるゲストハウス「サンタナコルカタ」に宿泊しました。

到着が夜だったので、空港からの送迎もお願いして、無事宿に到着。

宿では、コルカタに1ヶ月以上滞在しているという人や、大学を休学して世界一周している人、仕事をやめて世界一周している人、ベンガル語を学ぶためにインドに留学中の人がいました。

自分と異なる旅のスタイルの人の話を聞けて、とっても面白かったです。

旅をしている人はみんな、どこか強く、かっこよく、生き生きしているなぁと感じました。

みんなでラマダン明けで賑わっていたナイトマーケットに。

一人だったら絶対夜に外を歩く勇気はなかったので、とても助かりました!

同じようにマザーハウス施設でのボランティアのために来ている人がいらっしゃったので、次の日に一緒に行きました。

マザーハウスのボランティアで感じたこと

マザーテレサの「死を待つ人の家」という施設を聞いたことがある人もいるかもしれません。

1952年に設立され、現在でも貧しい人、病気の人、障がいを持った人などのケアを行っており、彼女の死後15年以上たった今でもその意志は受け継がれ、存続されています。

施設は複数あるのですが、私が最初に振り分けられたのは、プレムダンという介護が必要な老人の施設。

そこではベッドメイキング、洗濯、ご飯の配膳を手伝い、自由な時間は施設の人たちと自由に交流をします。

まず驚いたのは、とにかく介護が必要な人の数。

施設は全部で5つあるのですが、その一つであるプレムダンには、100人以上の人が生活していました。

この日は20人ほどのボランティアが施設に来ていましたが、毎日これだけのボランティアスタッフがいないと成り立たないのではないか、と思います。

もちろんシスターや、ベテランのボランティアスタッフには叶いませんが、1日だけのボランティアにできることも山ほどあります。

仕事がひと段落して自由時間になった時、最初は何をしたら良いのかあまりわかりませんでしたが
ベテランのボランティアスタッフの見よう見まねで、マッサージをしてあげたらとっても喜ばれました。

その時に、「誰かに必要とされること」ってとても嬉しいことで、重要なことだと感じました。

そしてそう感じることは、きっとここにいる人たちも同じで、人類の共通の望みなのではないかと思います。

言葉は通じないのですが、「あなたは必要とされているんだよ」という想いを込めて、マッサージをしていました。

この日ボランティアに来ていたのは、アメリカ人、スペイン人の学生が多くいました。
学校の学習の一貫で来ている人もいるそうです。

驚いたのは、スペイン人の学生がおばあちゃんが寝入る前に、額にキスをしていたんです。

私には同じことができるだろうか・・・。

「無償で与える愛情」の形を見た気がします。

「生きる」ということ

今まで考えたことありますか?

「生きるために、必死で生きる」ということを。

私は今までの人生で、考えたことがありませんでした。

何か目的や、目標を見つけて、その達成のために生きる、そんな人生を小さい頃から送ってきたからです。

マザーハウスのボランティアに来て、初めて直面したのです。

次に訪れたシシュババンという、障がいを持った子どもたちがいる施設では、
他のボランティアスタッフと一緒に、子どもたちと遊んだり、数字を教えたり、歌を歌ったりします。

ただ・・・

ここではほとんど意思疎通の取れない子どもたちが相手でした。

ベッドに寝たきりの子どもたちもいます。

あんまり考えると辛くなってしまって涙をこらえるのに必死でした。

あの子たちは、明日も明後日も、生きるために必死で生きるのかと思うと、

数ヶ月後には日本に帰り、仕事が始まり、厳しくも平和な日常に戻ってしまう自分を許せなくなってしまいそうでした。

コルカタに来て考える、貧困とは?

マザーテレサの施設で一緒にボランティアをしてたアメリカ人が私に聞いたんです。

「What do you think about poverty?」

突然難しい質問をしてくるなと思いましたが、コルカタに来てからずっと感じていたことを話さずにはいられませんでした。

「貧困は不幸じゃない、それでも幸せな人はいる。」という言葉に対しての疑問。

国際協力や、途上国に関わった人なら一度は思ったこと、耳にしたことがあるかもしれません。

私もネパールに行って初めて実感したことです。

でも、ここではどうだろう。

日本でもアメリカでも、ホームレスがいるように、どの国にも物乞いはいます。

ただ、コルカタは異常だと思いました。

その数があまりにも多いからです。

お金をくれと手を出してくる子どもたち。

コルカタの路上にいる、

裸の赤ちゃん

砂だらけで横たわる女性

生きてるのか死んでるのかわからない子ども

腕や足のない人

彼らは貧困です。だけど彼らは不幸じゃない、と誰が言えるのだろうか。

何がこんな状況を作り出しているのか、どうして誰も助けないのか、なんで私は何もできないのか。

例えば日本だったら、誰かが助けるでしょう。国の生活保護の制度も存在します。

でも、政府だけのせいじゃない、政府だけの責任ではない。

じゃあ誰の責任?

それがわからないから、本当に難しい問題だと思います。

結論、貧困とは?という明確な答えは存在しないのではないか、というのが現時点での私の答えです。

物乞いの人たちに対しては、笑顔も、哀れみの感情も、もちろんお金もあげないです。

何も知らない私たちが、彼らの成功体験を作り出してはいけないと思うからです。

インドでは、裏にマフィアがいて物乞いをビジネスとして扱っているという噂もあります。

前回のインド滞在で、現地の人が
「She use her child just for money…」と言っているところを聞いたこともあります。

もし、彼らに対し、かわいそうだと思ってお金をあげたとしても

救われるのは、罪悪感がほんの少し薄れる自分だけだと思います。

だったらその罪悪感を強く持つ方がまだましだと、私は思います。

じゃあ今、私にできることは?

何もないのです。

教育、国の安定、人のマインド、お金、宗教、文化・・・

「貧困ってなんなんだろう。なんで抜け出せないんだろう。この人たちはこれ以外の生きる道を知らないまま、死んでしまうのかな。」

社会には抗えない。

インドに来て思うことです。

でも、この大きな社会の課題に対して、切り込んでいくボランティアにしろ、ビジネスにしろ、開発援助にしろ、希望はあると信じています。

そして、行動します。





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